世界遺産・中尊寺 ~奥州藤原氏ゆかりの寺~
大震災と同じ年に世界遺産として登録された平泉。
新緑の季節として改めて再訪する機会があったので、今回は平泉でも最も有名なスポットを見てみよう。いわずもがな、「金色堂」として有名な中尊寺である。
天台宗東北大本山の寺院でもあり、奥州藤原氏ゆかりの寺でもある。
前回、訪れた毛越寺と同じく、850年に円仁(慈覚大師)が「関山(かんざん)」として開山しているが、実質的な建立・造営は奥州藤原氏(藤原清衡)であると伝えられている。
かの有名な金色堂を始めとして、平安時代の美術・工芸・建築などの多くの文化財を有する中尊寺は国の特別史跡に指定されている。
では、その中尊寺に足を踏み入れさせていただこう。
「月見坂」と呼ばれる表参道を歩くだけでも凛とした空気を実感できる。
参道の道中、見晴らしの良い場所があったので平泉の地を一望してみた。
この風景と空気は、都市部では体験できないものであろう。
一望したのち、ちょっと傾斜のある月見坂を引き続き歩いていると本堂に到着。
もちろん、お参りは忘れずに・・・。
そして本堂にお参りをしたあとは、有名な金色堂にお邪魔するが、残念ながら金色堂の内部は一切の写真撮影は禁止ということなので、是非とも足を運んでその厳かな空間を実感していただきたい。
ちなみに、現在の金色堂は新しく創建されたものであり、創建される前はこのようなお堂であったとのこと。
金色堂のお参りが終わり、今度は境内にある白山神社を参拝することにしよう。
実はこの白山神社、中尊寺を開山した円仁がこの地を祀り、その後に奥州藤原氏が中尊寺の鎮守として本殿と共に崇敬したと伝えられている、まさに「大本」の場所でもある。
中でも有名なのがこちら。
1853年に当時の仙台藩によって再建され、近世の能舞台遺構としては東日本唯一のものとされている。
また、日本の芸能史の貴重な遺構として国の重要文化財に指定されており、現在でも祭事を中心に演能が行われている。
毛越寺とは違い、中尊寺は平安時代から存在するものが数多くあり、同じ時代・同じ文化として繁栄した「都」にかなり近い雰囲気が存在する。
そして、奥州藤原氏がこの平泉の地に当時の「都」の寺院に引けを取らない仏堂を造立した理由として、経済力があったという背景もあるが、長年の戦いに明け暮れたことを省みて自身の領地に戦没者の追善と極楽浄土を願って創建したという推測がされている。
これが、奥州藤原氏三代ゆかりの寺としていわれる縁でもあり、平泉が「浄土を表す建築・庭園および考古学的遺跡群」の構成資産の一つとして世界遺産に登録された根拠でもある。
平安時代の「都」として反映した京都とは違う文化・面影に触れるには、ここ平泉が最適な場所であろう・・・。
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